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母娘で精神科に通う日々

娘と二人して精神科に通い始め、
親子でそれぞれ別の主治医にかかるために半日を費やしました。
待合室では、娘はまともに座って待つことができず、
ぐったりと横になって1時間以上も待たねばなりませんでした。

私はぼちぼち、様子を見ながら減薬の相談を、と思っていたくらいなので、
しんどさはほとんどなくなっていたのですが、娘は重症でした。
まず、生きることに対して、価値も、執着も、何もないのです。

その辺が、私とは大きく異なっていました。
同じうつでも、私の場合は直接の原因を取り除き、
一定期間の休養と投薬で、劇的に良くなってきました。
けれども、娘は、何ヶ月経っても、波が上がったり下がったりを繰り返すばかりでした。
娘の問題の根っこは、うつだけではなく、
生い立ちや性格からくるものではないかと想像がつきます。

でもどうしたらいい?過去は変えることができないのです。
今を生きることで、人生を歩んでいくしか方法がないことを、
何とかして気づかせたいけど、焦ってはダメ。

今は、ひたすら休む時期だから、見守ることしかできません。
母娘で過ごす時間が今までよりもぐんと増えた気がするけど、
もしも私の育て方とか、言動とかが、娘にとって悪影響を与えたというのなら、
娘の恨みの気持ちを、私は受け止め続けるしかないでしょう。

娘の気持ちがいつかすっきりと晴れるまで。
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うつの娘の食事

うつの回復には、食事も効果があると、何かの記事で読んだので、
私はそれまでの食事を見直してみました。

やっぱり野菜や魚が中心で、肉が少なかったなあ、とか、
乳製品が少なかったなあとか、卵を食べない日があったなあ、とか
色々と反省点が出てきました。
それに、甘いものは二人共、大好きでした。

これでは毎日、うつになりやすい食事をしていたようなものです。
知らなかったとは言え、怖いことだと思いました。

実際、娘はうつになってからガタっと食欲がなくなり、
本当にちょっぴりしか食べることができなくなっていました。
とにかく寝てばかりいて、いざ食べようとすると固形物が喉を通らない、
という感じでした。
なので、カフェオレを作って飲んだり、カップスープや春雨スープをたまに口にする程度でした。

無理強いしてもいけないけれど、このままでは体が危ない、
ということをよくよく言って聞かせ、「骸骨みたいな身体になっちゃうよ?」と、脅しました。

すると、「それは嫌だ!」と言いましたので、内心ああよかった、と思ったものです。

女の子ですから、見た目を気にする心があるうちは
まだ回復の見込みがある、と思いました。

現に、仕事で受けたストレスを振り払うかのように、
友達に会いに行こうとする気力が残っていて、
そんなときは自分で服を選び、おしゃれに気を使って出かけていました。

ただし、そのあとは反動でまたぐったりと眠り続ける、という繰り返しでした。



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心の成長の歪み

娘のことで、彼女を心配し、気遣う生活をしていくうち、
うつが良くなりかけて減薬に取りかかっていた私を、
またしても特有の息苦しさが襲いました。
夕方になると、ぐったりとなり、家事ができないくらいでした。

私は減らしていた薬を、元に戻してもらうように主治医の先生に頼み、
自分の回復期が遅れても仕方がないと、腹をくくりました。

娘がたまに夜、色々と私に話しかけてくるので、それを根気良く聞きながら、
娘の心の中の暗がりが一つずつでも晴れていくようにと願いました。

小さな子供の頃のこと、思春期に差しかかった頃のこと、中学や高校の頃のこと、
兄のこと、祖母のこと、家族関係のこと、そして自分自身のことなど。

娘は、自分の中の黒いもの、と表現していましたが、
それを少しずつほぐしては流していくように、私に話して聞かせるのでした。

思えば、娘には、全く反抗期というものがなかったのです。
高校生の頃に、なんだか母娘で仲良しなのは嬉しいけど、
この娘はいつか、心のバランスが崩れて、ガタンと来るんじゃないだろうか?
との不安が胸をよぎったことがありました。

不安な予感とは、意外と的中するものです。
私は母親として、全面的に娘の回復へと向き合っていかなければなりません。



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